さて、ダビド・レポートの続きをご紹介したく思いますがその前にジャック・ダビドがニューヨークの地を踏んだ頃のアメリカの社会はどんな雰囲気のものだったかについてのお話しを少しさせていただきます。これまでに散々1876年当時のアメリカのウォッチ産業を持ち上げて?参りましたがしかしフィラデルフィア博覧会が開催された1876年、この年は実はアメリカも深刻な不況の最中にありました。この話はダビド・レポートにも「現在のアメリカは不況の最中にある」と明記してあります。
これに関して私は当初「まあ好景気に沸く中で一時的な不況に襲われていたんだろうな」と余り深く考えていなかったのですがふと気になって山川出版社の「アメリカ史」(紀平英作編)という本を読んでみました。そうしましたらこれはどうも生半可な不況では無かったようであります。経済は一時的に信用不安の状況にあった、とあります。調べてみて驚きました。
一体何でそんなに不況になったのか、と思って上記「アメリカ史」を繰ってしばし読んでみましたところ、これを説明するにはそれこそ1861年-1865年の 南北戦争であるとか、あるいはその後の南部再建であるとかについての話から縷々説明しなければならないという事が判りました。これは時計の話から離れすぎますし正直なところ私ごときに正確な説明が出来る事柄ではありません。
強いてウォッチ産業に関係あるところで言うと直接的には1873年の過剰な鉄道投機をきっかけとして発生した恐慌。これがその後1880年代まで続く不況の引き金を引いたもののようであります。「鉄道は儲かる」という事で投機的な思惑の資金が集中したがやがてバブルが崩壊したという事でしょうか。
この不況は当時のアメリカの労働者が政治に対して抱いていた不満とシンクロいたしましてやがて1877年、ピッツバーグにおける市場未曾有の大規模鉄道ストライキを引きおこすに至ります。前掲書「アメリカ史」にこの鉄道ストライキにおいて沢山の蒸気機関車がボコボコにされている写真が載っておりました。怒りに燃えてストライキに参加した鉄道関連労働者たちが暴れ回ったついでに汽車を燃やしたりしたのだろうと思われます。ストライキというよりは暴動と言った方が正しい騒擾ですね。実際そのストライキ鎮圧には連邦軍を投入しなければならなかったそうであります。上の写真はその騒動により破壊されてしまったピッツバーグの鉄道操車場の姿であります。汽車がボコボコにされています。
そのような時期であれば鉄道会社の運行も当然麻痺状態となり経営にも重大な障害を来したものと想像されます。それに伴いウォッチの販売に深刻な影響があったであろう事は想像に難くありません。というのもアメリカのウォッチ産業はそもそもレイルロードとの因縁が非常に深い成り立ちのものであり、最初から鉄道需要をあてにしていた会社が非常に多かったからであります(但しウォルサムとハワードの成立はこの例に当てはまりません)。ここでちょっとハロルド本の P.70から一部粗訳いたしましょう。
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ウォッチと鉄道との間に近しい関係があるのも当然だと見ることが出来る。実際問題としてJ.C.アダムスはシカゴ近辺の鉄道と(それに関連する)産業の隆盛に基づいて1864年にイリノイ州はエルジンの地にナショナル・ウォッチ・カンパニーを設立したのである。彼はその後もコーネル、イリノイ、ペオリアという三つのウォッチ会社を設立することとなった。同様の理由でイリノイ州は他にも数多のウォッチ会社を持つことになる。ロックアイランド、ロックフォード、フ リーポート、ウェスタン、オーロラ、ウェストクロックスである。
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それらの工場は全て鉄道産業の集う周辺に建てられていたそうであります。最初から鉄道需要を見込んでいたという事だと思われます。エルジンの主要創設者であるJ.C.アダムスはリバプールで五年間の時計師修行を終えていくつかの履歴を重ねながらエルジン創業直前にはシカゴ近辺の「鉄道タイムキーパー」なる仕事を任されておったそうであります。
鉄道タイムキーパー、とは一体何をやる仕事なのでしょうか?どなたかレイルロード・ウォッチに詳しい方、ご教示いただければ幸いです。ハロルド本の原文は "timekeeper for the railroads" であります。語感からは何となく機関車の適切・定時運行のコントロールにかかわる職種のような感じもありますがアダムスおじさんはそもそも時計師なのでやはり鉄道時計の整備修理をやっておったのでありましょうか?
で、アダムスおじさんはこの仕事を通じて、
「ウォッチには巨大な需要がある。ここシカゴにはチャンスがある」
と強く感じるものがあったらしい。ですが先行したボストン・ウォッチ・カンパニーなどの実例が示すとおり近代的ウォッチ工場を設立するのに必要な経費、事業が黒字化するまでに持ちこたえなければならない費用は莫大なものです。
「ウォッチ製造は絶対儲かるはずだが起業するには多額の資金が必要だ。よし、知り合いのお金持ちに片っ端から話を持ち込むとしよう」
という訳でアダムスおじさんの探し出した人物がB.W.レイモンド、シカゴ前市長にしてシカゴの鉄道(行政)の推進者。この人がアダムスおじさんの後援者となった事がその後の資金獲得に有利に働いたようです。
「アダムス君をよろしく。 B.W.レイモンド」
なんて書いた推薦状と分厚い企画書でも持ってアダムス氏はお金持ちの間を説得して回ったりしたのでしょうか?
エルジン設立にあたって、結果的にレイモンド氏のような鉄道事業及び鉄道行政に深い関わりを持つ人物が資金を出したり後援者になったりしたという事はつまり鉄道サイドの人間から見ても、
「ウォッチ製作は絶対に当たります。どうか私に出資をしてください。損はさせません」
というアダムスの提案には一定の蓋然性があり、空想夢想・絵空事の類の事だとは思われていなかったという事を示していると考えられます。
話が逸れてしまいましたがそういう成り立ちを持つ業界ですからこの不況に際して鉄道関係の需要が激減、一般需要も減少、これでアメリカのウォッチ会社は大いに困ったのであろうと私は考えます。
ハロルド本の「図16・ウォッチ会社の数」(P.50)というグラフを見ますと1850年代後半から順調に増えてきた ウォッチ会社の数が1870年代前半から1880年代前半にかけて明らかな横ばい停滞もしくは微減の傾向を見せております。新規参入もあったのですが数年と保たずに潰れる会社も多かったようです。アメリカにとっての1876年というのはそんな経済状況の中にありました。
ちなみにこの不況脱出後またアメリカのウォッチ・カンパニーは再び増殖し出すのですがジャック・ダビドは1876年時点のレポートで「景気が回復したらこいつらは絶対蠢き出すに決まっている」とこれを予言しています。
余談ですがこの1876年頃のアメリカの社会というのは滅茶苦茶なものだったんですね。フィラデルフィアにおいて高らかに建国100周年の博覧会を催しその 先進技術を全世界にアピールする一方で経済は信用不安の様相を呈しておりました。南部再建も難航しており再建州政府を憎むクー・クラックス・クラン まがいの民主党員は白昼堂々と黒人や白人共和党員に襲いかかり、南北の経済格差は莫大なものであり、同時に都市部における貧富の格差も莫大なものでありま した。
連邦政府は奴隷解放後の黒人の処遇に悩み、食い詰めて流浪した白人が都市部に流れ込んできて治安が悪化したりしました。そして毎年秋に起こる南部農民の暴動はもはや風物詩となっていて連邦軍もそのうち鎮圧に向かうのを止めてしまったほどです。当時のアメリカにおいてはこの種の社会不安に類する話は腐るほどあったようです。考えてみれば「風と共に去りぬ」の時代からまだ10年ちょっとしか経っていないのであります。アメリカは未だ激動の最中にあった訳であります。
アメリカの歴史に詳しくもないくせにおこがましいのですが、前出の「アメリカ史」を読みかじった結果、この時代はアメリカが黒人奴隷を使役して砂糖や綿花を作っていた農業国家から法整備の整った近代的工業&商業国家に生まれ変わる過程の混沌とした矛盾だらけの時期だったのだなと私なりに了解しました。世界最高度の工業技術を有し、目覚ましい機械工業化を果たし資本主義のモデル国家へと変貌しつつある一方で世界最悪級の社会矛盾を抱えその歪みに呻吟する国家。これが建国100周年を高らかに祝うアメリカのもう一つの姿であります。
ジャック・ダビドがスイスからやってきた頃のアメリカというのはそんな状況だったという事を念頭においてダビド・レポートを読むとまた違った感じで読めるように思いました。相変わらず前置きが長くて申し訳ありませんがではようやくダビド・レポートの続きに参ります。
(つづく)
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