●ダラー・ウォッチ誕生の頃の時代背景
さて、近代産業の発展興隆に伴って人々がその意識の変革を迫られることとなったものの一つが「時間」というものに対する概念でありました。産業社会とは荒っぽく言うと労働者が家の周りの畑ではなく、都市部あるいはその近郊の工場や事務所に出向いていってそこで生産作業その他に従事して仕事が終わったら家に帰っていく社会であります。そこには始業時間、労働時間、休憩時間、終業時間という概念があり、人々はこのタイムテーブルに従って能率良く働くことを要求されるのであります。また人々は時間内に工場に到着するためには通勤時間も見込まなくてはなりません。こうした近代工業社会、産業社会に人々がその身を投じる時、それまでの生活で充分有用だった時間的指標、つまりそれは太陽の高さや教会堂の鐘の音だったりした訳ですが、それらの指標では全く精度が不足していたのです。勿論精度の高い時計というものは既に存在しておりました。ですが当時、時計は非常に高価な物でとても平均的労働者の手の届く物ではありませんでした。平均的労働者の日給が1ドルだった頃、ウォーレンという置き時計は40ドルしました。まともな懐中時計はもっと高かったでしょう。
仕方ないのでそうした人々は町を歩くときキョロキョロあたりを見回してタウンクロックで時間を確認しながら工場に急ぐ、というような事をやっていたそうであります。
そこで人々は考えました。
「ああオレも自分専用の時計が欲しいものだ。安くて正確な時計があればなあ」
これがダラー・ウォッチ誕生の素地であります。ここでちょっと上記"American Watchmaking"(以下ハロルド本)から一部訳してみましょう。
(訳開始)================================================
この国が農業国家から産業国家へとなるにつれ時間単位の行動というものが人生の重要な一部となり、人々にとってビジネスにおける一日の時間管理をする必要性はより大きなものとなった。もし産業社会の中に巻き込まれていなかったとしても既に鉄道網は国中に張り巡らされており、列車の汽笛を無視するのは無理な相談だった。良きに付け悪しきに付け、この国全体がまるで鉄道のように「時刻表(Timetable)」に則って運営され初めていた。そしてそれは人々の無意識のうちに各個人の人生の一部となっていたのである。
このため時計に対する大きな需要が形成され始めた。この需要は時計産業の規模を大きくする助けとなった。そして次に、人々は誰もが買うことの出来る時計を欲した。だが初期の時計産業はその需要に応えることが出来なかった。人々は高価ではないが信頼性が高く使いでのある時計、少なくとも数年は動き続ける時計、そして修理の可能な時計を欲していたのである。
=========================================(訳終わり)
●初期の「大衆の時計」への試み
となれば「安くて正確なウォッチを造れば莫大な量が売れるに違いない」と考えた時計産業人がいたのも当然でありましてアメリカにおいては1860年代からいくつかの会社がこの分野への参入を試みる事となりました。が、これがなかなか苦難の道でありました。値段が下がらなかったのであります。
アメリカにおける「誰もが購入可能な大衆時計」への最初のアプローチはボストン・ウォッチ・カンパニーから始まりました。「C.T.パーカー」という時計を7石の低グレードウォッチとして製作したのです。ハロルドによればこれは恐らく20ドル以下で売られていたであろうとのこと。低価格と言ってもまだまだ一般人には簡単に手を出せる金額ではありません。
ハロルド本から拾ったその後の低価格ウォッチ(inexpensive wataches)の系譜は大体以下の通り。
・P.S.バートレット(アップルトン・トレーシー&カンパニー)
・J.ワトソン(アメリカン・ウォッチ・カンパニー)
※ウィリアム・エラリー名も同じモデル。南北戦争による需要喚起を受けて大いに売れた
・ホーム・ウォッチ・カンパニー(ウォルサム)
・ブロードウェイ(ウォルサム)
※ハロルドによればこのモデルの売価は10ドルかそれ以下だったとのこと
以上は全て「ジュエルド・レバー・ウォッチ(jewelled lever watches)」であります。つまりウォッチの心臓部である脱進機に高信頼性のレバー式を採用してそのレバーの駆動にかかわる部分であるツメ石、振り石に宝石を採用していたのです。その他の部分にも最低限の宝石を用いていて大体7石〜11石程度のものでありました。ウォルサムはそもそも多石のきちんとしたウォッチを造っている会社でしたから低価格ウォッチといっても上級ウォッチの構造を簡略化した、そもそも素姓がいいというか、或る程度以上はコストダウンしにくい構造のものであったようです。
こうした「一般大衆の時計」のアメリカ市場においてアメリカ製品の競争相手となっていたのはスイス製シリンダー・ウォッチでした。ウォルサムの最新鋭機械設備で造られた「ブロードウェイ」が売価10ドル程度であったのに対してこれらのスイス・ウォッチは8ドルほどで売られていたのです。
ただこのスイスからやって来たシリンダー・ウォッチは相当にショボいウォッチだったようです。このあたり、ハロルド本から引用してみましょう。
(訳開始)================================================
それでもまだスイスのシリンダー・ウォッチとの競合があった。スイス時計はわずか8ドルかそこらだったのである。これらの安物スイス・ウォッチは手工業によってぐちゃぐちゃと組み立てられた物で分業制で作られていたために安かった。その工程のどの段階においても手作業でどたばたと作られたもので(the manufacturing process was performed rather hastily by hand)、結果としてその品質はバラバラ、多くの場合は低品質だった。それに伴ってそれらの時計はタイムキーパーとしては不規則に過ぎ、しばしば新品であるにも拘わらず調整・修理を必要とした(訳注:昔のソ連時計みたいですね)。全部が全部このテの物では無かったにせよ、こうした理由でスイス時計の評判というのは芳しくなかったのである。
==============================================(訳終わり)
私のようなスイス時計ファンにはにわかに受け入れがたい話ですが、これも当時のスイス・ウォッチのひとつの真実であります。スイスの汎用ウォッチの品質の悪さについては1876年当時のロンジンの技師長ジャック・ダビドも「ダビド・レポート」の中で「アメリカ製の時計に比べて我々の造る時計はこんなにもお粗末なものではないか!」と悲憤慷慨しています。
このように「スイス製はボロい」と言われつつもその安価さゆえにアメリカにおいて常に一定量のシェアを確保していたようです。
従来の形式のウォッチの場合、アメリカ式マシン・メイド・ジュエルド・ウォッチでは値段を下げるには限度がある、スイス式の手作業ぐちゃぐちゃ組み立て方式の場合は品質に問題が出る、というこのジレンマに際して、
「何か根本的にイノベイティブなものでないとウォッチというのはこれ以上値段は下がらず『真の大衆時計』の実現は難しいのではないか」
という認識が時計業界人の間で徐々に共通のものとなって来ました。そしてその「何か根本的にイノベイティブなもの」はまずスイスからやって参りました。
ロスコフ・ウォッチであります。
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