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●ダビド・レポート 第1章:アメリカのウォッチ工場の数と順位
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この章は本来、アメリカのウォッチ産業について豊富な知識を持っているとは言えないスイスの業界人たちにアメリカにはどんな会社があってそしてそれらはどん な経緯を辿ってきたのかという概略を説明するために設けられた章です。なので当然、アメリカ懐中時計に親しむ人にとっては常識的な名前が羅列される結果となっておりますがその内容はジャック・ダビドというスイス人が1876年現在のアメリカにおいて調査し、聞き取りをした現在進行形の情報であるため読んで みると独特の臨場感があります(これはダビド・レポート全体を通じて言えることで、アメリカのウォッチ産業が壊滅してから後でまとめられた客観的な資料とは趣の異なる面白さがあります)。
1876年、アメリカのウォッチ産業はフィラデルフィア博覧会においてその技術力を誇示する一方、経済は先述のような不況に喘いでおりました。アメリカのウッチ産業もそのあおりを受けてアメリカン・ウォッチ・カンパニー(ウォルサム)ですら減産、一時的な操業停止、レイオフなどに追い込まれておりました。ジャック・ダビドはその姿をちょうど現在進行形で目の当たりにしてこれについても様々な考察を加えています。私はこれがジャックの「スイスの工場生産はどうあるべきか」という考え方に大きな影響を与えたのは確実だと思います(これについては別の章に詳し いので別途ご紹介します)。
ジャック・ダビドはこの章において「これまでに創業されたアメリカのウォッチ製造工場」としてアメリカン・ ウォッチ・カンパニー(ウォルサム)、ナショナル・ウォッチ(エルジン)、スプリングフィールド(イリノイ)、ユナイテッド・ウォッチ・カンパニー(マリオン)、E.ハワードなどを初めとする都合15工場のリストを挙げております。
が、ダビドの見るところ1876年時点で「現在きちんと活動していて機能していると考えられる会社」というのはそのリストの中でも、
・アメリカン・ウォッチ・カンパニー(ウォルサム)
・ナショナル・ウォッチ・カンパニー(エルジン)
・スプリングフィールドウォッチ・カンパニー(イリノイ)
の僅か三つだけだったとのこと。ダビドによれば他の会社はそれぞれ創業されたばかりであったり操業停止していたり或いは既に空中分解していたり破産に瀕してしていたりしていて彼の目には「商売になっている」とは映らなかったようです。ダビドはその3社以外の選に漏れた?会社についても短い解説を行っており、 これはこれで結構面白いです。
例えばハワード(E.Howad & Company)。上記の「まともな会社リスト」からハワードが抜けているのは意外な感じがしましたがダビドによれば興味深い事にこの1876年当時、ハワードのウォッチ生産は完全な操業停止に追い込まれていたそうです。以下ダビドのレポートを引用します。
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ロクスバリーのE.ハワード&カンパニーはその製品の評価という点では多年にわたって最高のものであった。その機械設備は他の工場に比べれば少なからず非力ではあるが完璧なものであり、その工場は約150名のワークメンを雇用するに充分なスペースを持っている。だが他工場との競争により(破れ)現時点ではウォッチムーブメントの生産は完全に停止している。さらに、最近行われた工場内の人員総入れ替えは結果として製品品質の少なからぬ低下を招き、その結果としてこの会社は新たな顧客の開拓を必要とするように思える。
現在この会社は非常に好評価を得ている振り子式クロックムーブメントやタワークロックの生産にその経営資源を傾注しているところである。クロック製造設備は新式で、巨大でそしてウォッチ・ムーブメントの生産には全く関与しない部分である。
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ウォルサムやエルジン等と比較するとハワードという会社は少しく毛色の違う会社でそこには少量生産、高品質、高価、というイメージがあります。
「ハワード氏には『数量を追うのではなくむしろ高品質を目指したい』という強い意志があったがこれがために彼の時計はマーケットの主流の価格より高いものとなった」
という意味のことをハロルドも述べております。アメリカン・ウォッチ・カンパニー(ウォルサム)が大々的に売上を伸ばした南北戦争の時期においてさえハワードの売上は芳しからず、ハワード氏は大いに苦戦したとのこと。
ハワードという会社はその長い歴史の中で常に高品質を理念にかかげながらも商売面ではいつも廉価で中程度の品質のウォッチとの戦いにさらされ続け、その経営は決して利益に富むものでは無かったのではないかという印象です。1876年にジャック・ダビドがレポートしたような操業停止に追い込まれるような躓きは実は何度もあったのではないかと想像します(アメリカ系の時計本をいくつか当たってみましたがこの1876年の操業停止の話は出て来ませんでした)。やはりエドワードが創業社長であり且つ最大株主、という事でこういう経営を続けることが出来たのでしょうか。 また後年ハワードがキーストンに身売りした時にクロック部門を別会社として分離したという話もダビド・レポートと合わせて読むと「まあ比較的簡単に分離出来る組織 だったんだろうな」と納得が行く感じです。
(つづく)
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