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次の例はユナイテッド・ステーツ・ウォッチ・カンパニー(United States Watch Company at Marion)。この会社は1876年にはちょうど破産して整理しようかというところだったそうです。不況を乗り越えられなかったという訳ですね。再建策 も講じられたものの、それに吸い取られた結構な費用は効果的に使われず株主の不利益となるばかりだったので首脳陣は希望を失って「もうやめましょうや」と いう事になったらしい。この会社の払い込んだ資本金は約100万ドル。対して破産時の負債総額は170万ドルだったそうです。現代の貨幣価値でいくらくらいに換算されるのでしょうか?1ドル8,000円で考えると負債額は136億円程になりますがいずれにしても掃討の負債額と思われます。ちなみに製造機械 類は状態が悪かったせいか二束三文の評価だったそうです。
不思議な事にダラーウォッチの元祖とも言えるオーバンデールについての言及もあります。
「オーバンデールは現在機械設備の完成を待っているところである。その目的は回転ムーブメントの竜頭巻きのスペシャル・ウォッチを造ることである。この構造は大変複雑でちょっと見た感じでは発明者が言うほどのアドバンテージがあるようには思えない」
と ジャック・ダビドは述べております。スイス人スペシャリストの目にはオーバンデールは奇妙なものに見えたのでしょうか。ちなみにオーバンデールはほぼ ジャックの予想したような結果に終わったと言って良いと思います。このオーバンデールについては「ダラー・ウォッチ列伝」にてご紹介する予定です。
ダビド・レポートで「惜しいなあ」と思ったのはフィラデルフィア・ウォッチ・カンパニーの話です。ダビド・レポートでは、
「フィラデルフィア・ウォッチ・カンパニーと呼ばれる工場はスイスの工場から製品を輸入している」
という一行で片付けられています。もう少しジャック・ダビドが調べてくれて「スイスのシャフハウゼンの工場から」とか一言書いて置いてくれたらマニアの皆さんには非常に有益な情報だったのになあ、と思いました。スイスといってもジュネーブだバレードジューだルロクルだラショードフォンだシャフハウゼンだ、と色々あるんだからスイス人の癖に「スイスから輸入している」と大ざっぱな記述で済ますのは怠慢じゃないか、と文句の一つも言いたくなります。まあジャックは そういうスタイルの商売に全然興味なかったんでしょうね。尚ワトキンスの英訳文が"factories in Switzerland"と複数形になっておりますのでフィラデルフィア・ウォッチ・カンパニーはスイスに複数の仕入れ工場があったんだろうなという感じ はします。
さて、群小の工場の話はきりがないのでここでジャック・ダビドがアメリカン・ウォッチ・カンパニー・イン・ウォルサムについて解説・描写している文を以下、ご紹介します。
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1845年、ボストンのウォッチメーカー、デニソン氏は機械的工程でウォッチ製造することによって海外の工場と競争しようというアイデアをE.ハワード氏に提案した。二人はボストンのサム・カーチスを加えてパートナーシップを結び1850年、ロクスバリーに合衆国初のウォッチ工場を設立した。この工場においておよそ1,000個ほどのムーブメントを製造した後、彼らは「ボストン・ウォッチ・カンパニー」の名のもと、新しい会社を設立したのである。
ある人物はデニソン氏と1850年から1852年にかけてジュラ山地のウォッチ製造の盛んな地域に滞在していたと述懐する。スイスの製造方法を学び、そしてその知識に基づいてアメリカにおけるウォッチ製造手順の基本をうち立てるためであったという。
この新会社はその後ボストンからおおよそ10マイル離れたマサチューセッツのウォルサムに移転し1854年には正式に法人格を得た。
1857 年、この会社は破産しその資産は競売にかけられた。アップルトン&トレーシー・カンパニーの代理人としてのR.E.ロビンス(R.E.Robbins)が 56,000ドルでこれを買い取った。これには工場周囲のかなりの土地も含まれていた。このビジネス上の資産は間もなく「ウォルサム開 発」(Waltham Improvement Company)に譲渡された。同社はチャールズ川南岸の工場に隣接する土地所有者たちで構成されている会社である。(中略)
アメリカ ン・ウォッチ・カンパニーのビルディングは今や2エーカー(約8,100平米)ほどの床面積でそこで働く900名ほどの人員を簡単に収容することが可能である。収容人数にはまだ多少の余裕がある。数多くの建物の間のスペースはエレガントなガーデンで占められており、会社の周りは美しい芝生に囲まれている。
元々はウォルサム開発(株)に属していた100エーカー(約40.5万平米)ほどの土地は小住宅やアパートに覆われている。中には従業員によって建てられたものもある。現時点では全部で300軒ほどの様々な外観や広さの家があるがそのどれもが住み心地の良いものである。家々は大体において果樹、花、芝生の生い茂った庭に囲まれており、それがこの産業区の目覚ましいばかりの繁栄を顕している。
ウォルサムの製造機器類は400,000ドルの評価額で、実際今作るとなると確実にそれくらいの金額になろう。但し(過去連綿と)これらの機械の製造に使われた支出額総計はこの数字よりもっと莫大なもので ある。土地と建造物は300,000ドルの見積。この工場の総資産は1,800,000ドルである。
動力は二基のスチーム・エンジンから供給される。一基は25馬力、もう一基は30馬力のものである。
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1876年時点でジャック・ダビドが書き残したウォルサムの来歴と史実として現在伝えられている内容とを照合するとなかなか興味深いと思いました。
また、ジャック・ダビドはアメリカン・ウォッチ・カンパニーの工場の威容、美しさ、そして社員達の社宅の美しさ、社員たちの幸福な生活ぶりが目に沁みたようです。このあたりはダビド・レポートの第三章でも繰り返されていますがこういう所にジャックはアメリカのウォッチ産業の繁栄を見て取ったものらしい。このあたり、 ジャックの冷静な筆致の中に潜んだアメリカン・ウォッチ・カンパニーに対する賛嘆と羨望の念が確実に読みとれるように思いました。
(つづく)
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