●創立者・マーセル・デプラ/Marcel Depraz, the founder
1901 年1月1日、スイスのジュウ渓谷南西の一角を占める小さな田舎村リユ(Le Lieu)に一人の青年が時計組立の会社を設立いたしました。青年は記念すべき自分の会社に自分の名前をつけました。それが「マーセル・デプ ラ」(Marcel Depraz)、現在スイス時計業界において盛名を誇るデュボア・デプラの前々身であります。※写真は昔のLe Lieu村。おそらく1900年前後のもの。のどかな田舎であります。
マー セルはこのリユの村でパン屋を営むユージン・デプラ(Eugene Depraz)のおそらく次男坊として1874年に生まれました。長ずるに及んで兄のパウル(Paul)は家業のパン屋を継ぎまして、弟のマーセルは時計 業を志すことになりました。"un siecle d'horlogerie compliquee-Dubois Depraz Le Lieu"(以下『DD本』と称します)によれば「マーセルの職業訓練の役を担ったのは二人の叔父だった」とあります。
なるほどジュウ渓谷の小村リユというロケーションを考えれば同渓谷内の近隣村に時計業に従事する親戚の二人や三人がいるのは全くもって自然であります。
「兄貴は家業を継いだ事だし、じゃあオレは叔父さんたちのやってる時計をやるか。元々手先は器用な方だし」
くらいの事は思ったかも知れません。
DD本にはマーセルが修行に出た年齢については書いてありません。19世紀後半という時代背景を考えれば恐らく13歳〜15歳というところではないでしょう か。ほぼ1890年頃、日本で言えば明治32年頃にマーセル少年は二人の叔父の元で毎日カチャカチャと時計製作修行に励んでいたものと思われます。
マーセルは天才肌の職人だったようです。DD本によれば修業期間中のマーセルは疑いもなく素晴らしい弟子だった、とあります。この頃のマーセルが具体的に何をしていたという詳細な記録は残っておりませんがDD本には、「彼が特別な才能を持った生徒で創意工夫に富んでいるということは明らかですぐに認められた。彼は25歳になる前には既にモンティリア時計製造工場(la Fabrique d'horlogerie de Montilier)の工場長の立場にいたのである」*
と書いてあります。時計修行に入って10年そこそこの事です。マーセルの才能は誰にもそれと判る隠れ無きものだったのでしょう。
※画像は壮年期のマーセル・デプラ。なかなかシブいおっさんであります。
ち なみにジュウ渓谷の時計師には十代の年若い頃からメキメキと頭角を現してくる「最初から天才的だった」という人が実は少なくありません。こうした人々の出 現の仕方を見ると音楽一家に生まれたモーツァルトが最初から天才だった、という話を思い出してしまいます。200年以上の時計製作の歴史を持つジュウ渓谷 一帯は我々日本人の想像する以上に濃密な時計空間であるのかも知れません。
さて、時計人としてのマーセルの心を捉えて離さなかったのは 「リピーターウォッチ」と「クロノグラフ」の二つでした。DD本には「マーセルには複雑時計への情念、発明への沸き立つような思いがあった」とあります。 ジュウ渓谷という土地はこの頃既にスイス時計産業の中で複雑時計ムーブメントの一大供給地として名を馳せておりました。"Technique and History of the Swiss Watch"(by Jaques and Chapuis)という本によればジュネーブの複雑時計の殆どはジュウ渓谷の職人達の手を借りずには造れなかったとか。考えてみればパリのブレゲらに重要 なエボーシュを供給していたのもジュウ渓谷の人々でした。
こうした事を考えるとジュウ渓谷の小村で生まれ育ったマーセルにとって複雑系の時計は「そこにあって当たり前」のものであり、長ずるに及んでマーセルが複雑系を喜びこれに親しんだのも当然の成り行きだったと言えそうです。
で、 この工場長にまで至る時代にマーセルは複雑系の虜になるがごとく非常に勉強し、ついにはクロノグラフの原理・構造・動作というものを完璧に自家薬籠中のも のにするに至ったそうであります(Il connait parfaitement la technique du chronographe)。
「マーセル・デプラは決して諦めない男だったがその一方で彼は何事をやるにも色々な手段を使える男だった」**
「彼の用いた解決策・技術はしばしば全く斬新なものでそれは必然的にメカニズムのレベルを簡便確実なものにすると同時に結局は時計の最終的な品質を改良し信頼性を上げるものであった」***
というようなDD本の表現を見るに、不屈の精神力を持ちながらも決して頑迷ではなく、柔軟な頭脳を持って物事を成し遂げる、というマーセルの人物像が浮かび上がって来ます。
以下は余談です。デプラ家はこの数百年はリユの村で代々過ごしておりましたが元々はフランスの出身らしい。1536年に書かれたリユ地誌を見るとどこにも「デプラ」という名 前が見あたらないのに、16世紀中後盤に書かれた別のフランスの?本には「スイスのリユからミシェル・デプラという商人がやってきた」みたいな事が書いて あるそうなのでDD本には「多分ワシらのご先祖さんは1550年頃フランスからスイスのリユに移住してきたんじゃないかと思われる」と書いてありました。 これはユグノー戦争の直前くらいの時期ですがデプラ家がユグノーであったか否かは本書からは読み取れませんでした。
※写真はリユー村のメインストリート。写真に写っている一番右の建物がマーセルの父、ユージン・デプラのパン屋さん。
独立後のマーセルの話は次の書き込みにてご紹介したいと思います。
(つづく)
*Il n'a pas 25 ans qu'il occupe deja un poste de chef d'atelier a la Fabrique d'horlogerie de Montilier.
**Marcel Depraz ne se resigne pas. Au contraire il a plusieurs cordes a son arc.
***Ses solutrions techniques souvent nouvelles conduisent ineluctablement a des simplificatiions au niveau des mecanismes, les rendant plus fiables et ameliorant ainsi la qualite finale de la montre.
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