2009年5月23日土曜日

デュボア・デプラ -Preface-

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●デュボア・デプラという会社

世の中の大半の人にとって「デュボア・デプラ(Dubois Depraz)」という会社は「突然時計史に現れるナゾの会社」という感じではないでしょうか。世界初の自動巻クロノグラフの開発競争の話でエルプリメロに対抗する勢力として、

「ハミルトン〜ビューレン/ホイヤー〜レオニダス/ブライトリング/デュボア・デプラ軍団があった」

という文脈の中でクロノモジュールメーカーとして何の脈絡もなく突然現れる名前がデュボア・デプラです。私は当初「デュボア・デプラというのは1969年当時の新興ベンチャーか何かかな?」と考えたほどです。

デュボア・デプラという会社の来歴についてはなかなか資料がありませんでしたが先年、

"un siecle d'horlogerie compliquee-Dubois Depraz Le Lieu"
(複雑時計の100年/デュボア・デプラ)
※画像は同書の表紙

というデュボア・デプラの100周年記念のオフィシャル社史を入手ました。この本はフランス語で書いてあるため、私にとっては非常に難解です。ただ、辞書片手に亀よりも遅いスピードで読んで見たところ非常に興味深い内容で、中には驚くような事が書いてあったりします。

この本を手にして判った事はデュボア・デプラは新興ベンチャーどころか100年以上前からジュウ渓谷に存在するスイス時計の歴史の一翼を担う非常に由緒正しい会社であったという事です。

何だか一人で読むのも勿体ないように思ったためフランス語の勉強がてら2004年5月頃、@unitasさんという時計掲示板において「Dubois Deprazを語る」というタイトルで勝手に連載?を始めました。ですが生来の意志の弱さ、怠惰のため、途中で終わってしまって以後約5年間放置したまま今日に至ります。

今回、自分のブログを始めるにあたって当時の書き込みを再掲する事にしました。出来ればこの続きを再開したいと思っております。例えば本書に記されたDD2000の開発ストーリーなどはクォーツ・ショックに襲われたスイス時計産業がもがき苦しんだ生々しい歴史の証言となっております。いつか折を見てこのストーリーをご紹介したいと思っております。

※尚、ところどころ思い出したように原文を併記しておりますが、表記上の理由でアクサン系、セディユなどの仏文記号は省略しております。また人名、地名などの読 みは全くテキトーです。余りにヒドい間違いがあったらご指摘下さい。あとフランス語の解釈読解についてはなはだ怪しい点は平にご容赦を。 

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