2009年8月13日木曜日

ブレゲとジョン・アーノルド(3)

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●ジョン・アーノルドの独立、そして王宮デビュー

さて、そんなジョン・アーノルドでしたがひょんな事から漂泊の時計師生活に別れを告げてワークショップを構える事になります。

ある時アーノルドはウィリアム・マクガイヤという人に頼まれて彼の所有するリピーターウォッチを修理しました。アーノルドにとっては何でもない事だったのですがこのマクガイヤ氏がアーノルドの技術にいたく感心してこう申し出たのです。

「ジョン、君ほどの腕のある者がどうしてジャーニーマンをやってるんだい?良かったら自分の工房を持ってみないか。資金は私が貸そうじゃないか」

アーノルドも「いつまでもこんなんじゃいけない」と思っていたのでしょうか、彼はこの話に乗ることにしました。これが1762年5月、ジョン・アーノルド26歳の時の事でした。ワークショップを構えた場所はロンドンのDevereux Courtというところであります。

そしてその2年後の1764年、驚いた事にアーノルドは突如として王宮デビューを果たします。国王ジョージ3世に指輪型の精密なウォッチを献上したのです。マーサーによれば1764年の"Coventry, Warwick and Birmingham Magazine"という当時のタウン情報誌?に以下のように書いてあるそうです。


「この月曜日、コベントリーのアーノルド氏は指輪の中に入る程に小さく新奇なリピーターウォッチを国王陛下に献上した。国王陛下の命により作られた、指輪の中にはめ込まれた新奇なウォッチを携えて国王陛下を待つ間、アーノルド氏はウェールズ公妃、メクレンブルク王妃に紹介される光栄に浴した。お二人はこの 優れた小さな機械に慈悲深くも賞賛の意を表された」

この時アーノルドは随分晴れがましい思いをしたもののようですが、このウォッチが有名なアーノルドの「指輪時計」(これは1個目のもの。2個目の指輪時計は1770年)です。話によればムーブメントの直径は9mm程度という小さなものなのにハーフ・クォーターのリピーターだったそうです。


※画像は1778年1月の"Westminster Magazine"の一部です。本文とは関係ありませんが「フランス宮廷からのプレゼントとしてシャーロット王妃に最高のウォッチが贈られた」とか「そのウォッチを作ったのはイギリス生まれのフランス国王専属ウォッチメーカー(Gregsonの事です)だ」とか書いてあります。当時、イギリスの主要都市においてはこのような「瓦版」とも言うべきタウン誌?が発行されていて、街のニュースやインシデンツを掲載していたもののようです。アーノルドの指輪時計もこんな感じで"Coventry, Warwick and Birmingham Magazine"のページを麗々しく飾ったのでしょうね。

「いくらジョン・アーノルドだからって一体全体そんなものの製作が可能なもんだろうか?現代でも困難な仕事ではないか」

と私などはこの指輪時計の仕様について怪しんだりしたのですが、当時Woodsという人が書いた"Clocks and Watches"という本に"only a third of an inch in diameter"と書いてあるとのこと。1764年の"Gentleman's Magazine"などという情報誌?にも同様の事が記載されているそうですので事実としてそういう事があったのでしょう(ひょっとしたら当時の1インチは現代の1インチより大きかったのかも知れません)。

Wood氏によれば「アーノルドはこのデリケートで傑出したウォッチの製作のために殆ど全てのツール類の製作から始めなければならなかった」という事だったようなので相当小さなウォッチだった事は確かです。こういうウォッチを作るのですからアーノルドが傑出した腕の時計師であったことは疑いありません。

工房を開設して2年そこそこの青年時計師がいきなり王宮デビューを果たすに至った経緯は全く判りません。本当に全然判らないのです。想像に過ぎませんが工房開設後のアーノルドは或いは時計修理稼業の傍ら極小ウォッチの製作に没頭していたのでしょうか。ワークショップに出入りしてその過程を目にした人々の口から「何だか凄いウォッチを作っている奴がいるぞ」と広がった噂がやがて科学や技術に興味を持つ国王ジョージ3世の耳に入るところとなり、

「どれ、そのアーノルドとやらを呼んでその時計を見てみようではないか」

という具合に声がかかったのかも知れません。

ジョージ3世はその指輪時計に大いに驚きこれを賞賛したとの事です。同時に国王は自分と同年齢の時計師アーノルドの事が気に入ったようでこれ以降、アーノルドを身近に置いてちょっとした友人のような扱いをしていた形跡があります。

1770年刊行の "The London Museum of Politics etc."という本に「自らを『王の友』と呼ぶ一党のリスト」という記事があってそこにジョン・アーノルドの名前が「アーノルド、時計およびボタン製作者」として掲載されている事からもそのように想像される訳です。

※ちなみに「王の友」(The King's Friends)というのは歴史書によれば「国王ジョージ3世によって買収された議員たちで構成された組織で国王の政策実現に協力した」という結構ナマグサイ一団だったらしいです。が、アーノルドの例を見るに元々は本当に国王の友人たちの楽しい集まりだったのかも知れません。肖像画は国王ジョージ3世。

ジョージ3世は「ボタン収集」が趣味だったそうです。世の中にそんな趣味があるのかと思いますが、フランスのルイ16世なども錠前作りが趣味だったと言いますから国王というものも立場上色々と難しい事が多くてどうしても変わり者になってしまうのでしょうか。いずれにしてもアーノルドは精密な指輪時計を作る程の金属加工技術を見込まれてボタン製作をさせられていたらしい。

「アーノルド、今度はこんなボタンを作ってくれないか」

国王からそんな依頼を受けて、

「陛下、私は本当は時計師なのですが」

などと軽口を言いながら時々ボタンを作ったりするような楽しい日々をアーノルドは過ごしていたのでしょうか。

ついでに言えば当時の英王室ではドイツ語での会話が標準だったそうです。これは先々代の国王ジョージ1世および先代のジョージ2世がハノーファー出身で英語を解さなかったためです。アーノルドは若い頃の放浪時代にオランダ語を身につけていたためドイツ語を話す宮廷人との意思の疎通にそれほど困る事は無かったようです。時計の修理などに際して「あのドイツ語を解する時計師アーノルド」として宮廷人たちからも何かと重宝されていたであろう事は想像に難くありません(ただしジョージ3世自身は英国生まれの英国育ちで逆にドイツ語が不自由だった模様)。

そのまま行けばアーノルドは「王の友」として、王室御用達の時計師として、それなりの人生を過ごす事が出来たようにも思えます。ところがある頃、具体的には1770年を境にアーノルドの人生は大きく転回する事になります。この年、ジョン・アーノルドはロンジチュード委員会に自らの製作したプロトタイプを持って乗り込み、クロノメーター・メーカーとして突如、名乗りを上げたのです。

(つづく)
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2 件のコメント:

  1. いつも興味深いお話をどうもありがとう御座います。
    今回もアーノルドの人となりが伝わってくる面白いエピソ-ドですね。

    指輪時計のリピーターの疑問に関しては、私も同感です。
    1764年と言えば、まだ時計の薄型化、小型化の始まる前ですし、
    歯車の数が多いリピーターメカを9mmに納める事はほとんど
    物理的に不可能に思えます。もし作れたとしても音が小さすぎて
    聞こえませんよね。

    次回のクロノメーター編ではアーノルドの本領発揮ですね。
    楽しみにしています。

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  2. トキオさん>
    コメント有難うございます。
    直径9mmのリピーターに関して、やはりトキオさんもそう思われますか。
    これだけ当時の記録が残っているという事はそれに対応する小さなリピーターがあったのは事実でしょうが、本当のサイズなどは疑問が残りますね。

    クロノメーター編は何だか長々しくなりそうですがどうか我慢してお付き合いをお願いします(笑)。

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