●ジョン・アーノルド、青年時代の放浪
世界最優秀のクロノメーターを製作する男、というと何となく冷静沈着で理知的な人物を想像しますが "John Arnold & Son, Chronometer Makers 1762-1843" (by Vaudrey Mercer/以下『マーサー本』) という本に紹介されているジョン・アーノルドの人生の軌跡を辿ると、実際の彼は案外血の気の多い、直情径行の人だったのではないかという印象を持ちます。
同書によればもともとジョン・アーノルドは父親(伯父という説もあり)の許で時計師修行をしていましたが、18歳前後のある時、その父親と口論をして立腹の余り工房を飛び出し、そのまま逐電してしまいます。それで何と海を渡ってオランダのハーグまで行ってしまった。
何故オランダなのか?理由はさっぱり判りませんがその地で訳の判らない言葉を学びながら結局2年ほどウォッチメーカーの手伝いをしていました。
そして1757年、アーノルドはイギリスに戻って来ますが父親の許には戻らずその後5年間ほど、ジャーニーマンとしてイギリスの各地を渡り歩いていたそうです。放浪癖のある人だったのかも知れません。若き日のジョン・ アーノルドは時計職人でありながらも場所によっては鉄砲鍛冶職人などをして働いていたそうです。
これはアーノルドが技術の幅の広い男だったという事を示しているのみならず、そもそもこの頃はジャーニーマンの職能が未分化な時代だったという事をも示しているように思います。ジョン・アーノルドの生きた時代の雰囲気が少し理解出来るような気がして興味深く思いました。
時代の雰囲気、と言えばマーサー本に18世紀の伝説としてソールズベリーというロンドン西方の街にいた「アーノルド」という名前の無謀な時計師の話が紹介されています。その街には「ソールズベリー塔」(Salisbury spire)という高さ132メートルの塔があったのですがこの塔の先端には風見鶏が設置されていて、これをどうしても定期的にメンテナンスする必要があったのですがこの仕事が大変だったそうです。
というのも4分の3の高さまでは塔の内部の梯子を上って行くことが出来るのですがそこから上に登るには小さなドアを開けて外に出る必要があります。そして強風に吹かれて恐ろしい思いをしながら石造りの塔の外側に叩き込んである鉄の「持ち手」を掴んで塔の先端にまで登るのです。そこには何の安全具もありません。足を滑らせたが最後、132メートル下の地面まで真っ逆さまです。そうした状態でジャーニーマン達は風見鶏に注油作業を行っていたそうです。
「あんな恐ろしい仕事は無い」
と街の人々は話し合っていたらしい。
で、18世紀中盤のある日のこと。ソールズベリーのとある居酒屋において、
「ウォッチと道具を持ってソールズベリー塔のてっぺんに登って、その場所でウォッチを正しく分解整備して1時間以内に戻って来れるか」
という賭け話が盛り上がったのだそうです。恐らく言い出しっぺすら本気にしない、酔っぱらいの時計職人達の戯言だったのでしょう。ところがアーノルドという名前の時計職人が、
「よし、オレがやってやる」
そう名乗りを上げたそうです。
「おいおい大丈夫かよ」
「本気かよアーノルド」
そんな空気の中、そのアーノルドは恐怖のソールズベリー塔にすいすいと登って尖塔の頂点にたどり着くと風見鶏の支柱に自分の身体を縛り付けました。そしてその状態でウォッチのメンテをして後、悠々と降りて来ると「どうだ」とばかりメンテの終わったウォッチを皆の前に差し出して賭け金をせしめたというのです。※画像はネットで検索したSalisbury Spireです。恐らくこの建物の事でしょう。よくもこんな建物の頂上でウォッチ修理などする気になったものです。
このアーノルドという人物が名前も時代も場所も職業も後の世界的クロノメーター作家、ジョン・アーノルドと非常に符号する点があるのでマーサーは「ひょっとしたらこの無謀なアーノルドとは若き日の放浪中のジョン・アーノルドなのではないか」と考えたようです。
そこでマーサーはこのアーノルドについて精力的に調査をしました。その結果、この無鉄砲なアーノルドが世界的クロノメーター作家のジョン・アーノルドと同一人物であるかどうかについては疑問が残る、という結論に達したとの事。ですが私は当時の時代的雰囲気を伝える非常に興味深い話だと思いました。ジョン・アーノルドはこのような万事何かと粗削りな時代の雰囲気の中で悩み多き青年時代を漂泊の時計師として過ごしていたのでしょうか。
(つづく)
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